014 広岡浅子

10月17日(土)に法政大学イノベーション・マネジメント研究センターの主催の公開講座を担当いたしました。

 

本講座は、研究プログラム「企業家史研究会」を中心に、経営史上の主要なテーマとそれを最も体現した企業家を発掘・考察する場として2007年度より開催しています。

 

今年度のテーマは「女性企業家の軌跡ですが、私は「広岡浅子」を取り上げ報告をいたしました。

 

【報告はこちら】

https://riim.ws.hosei.ac.jp/news/202010223847.html

 

広岡浅子は嘉永2年(1849)年京都油小路出水の三井家に生れ、わずか2歳の時、広岡家新宅の嫡子信五郎と婚約がととのい、17歳の春嫁ぐのです。

 

20歳の時、維新動乱が起こり、広岡家の家運はにわかに傾くのですが、浅子奮然として立ち上がり、傾く家運の挽回をはかり、みずから鉱山や銀行の経営にあたります。また、大同生命の創業にも浅子の英断に負うところが大きかったと伝えられています。

 

明治34年4月には成瀬仁蔵らと日本女子大学を創設し、女子教育の発展にも貢献しています。

晩年63歳で、洗礼を受け、精力的に各地を伝道するとともに女性運動や社会救済保護事業を支援していきましたが、大正7年春以降健康を害し、8年1月14日持病の腎臓炎で東京麻布材木町の別邸で死去。71年の波乱に富む生涯を終えました。

 

浅子の生涯を確認していく中で、レビンソンの『人生の四季』というライフサイクル論を思い浮かべました。

レビンソンによれば、「季節と同じように人間にも四季があり、それぞれの季節が独自の役割と輝きがあり、身体は衰えていくかもしれないが、心はむしろ豊かになって発達していく」と述べています。

 

浅子は晩年には常々「私は遺言はしない。平常いうことがみな遺言である」と漏らして悟りの境地に入ったと伝えられていますが、浅子の71年の軌跡を振り返る中で、彼女の力強く生きた姿、生き様、高尚なる生涯、即ち「人生の四季」という意味、そのことを我々に残した遺言ということかもしれないと感じました。

 

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代表  岡  靖弘