移行期や過渡期は危機である。でも危機という漢字を見ればわかるように、節目につきものの危機には、「危険」と「機会」がともに存在します。
私にとっての人生半ばの危機は、将に大学を卒業して60歳までのサラリーマン人生の中での、そして平均寿命の丁度折り返し点、人生の正午である、42歳の時であったと思います。
生命保険会社に入社して、42歳までは順風満帆のキャリアを積んでいました。その時は怖いもの知らずの管理職であったかもしれません。
直近は、アジアの時代ということで、新設の海外駐在員事務所の初代所長として赴任し、私なりには成果を挙げた5年間であったと思います。自他ともに次の人事異動では本社の中枢管理職(次長)ポストに凱旋するのだと信じて疑うことはありませんでした。
しかし、実際の人事異動では意に反して、全くの逆でありました。
一兵卒として中堅企業の新規開拓営業です。200名程度の仲間が横並びで、毎日7企業訪問5企業の担当者との面談を義務付けられ、営業の成果を競い合う部門でありました。
都心三区(千代田区、中央区、港区)の150社程度の企業リストを与えられ、その企業以外からの成果は認められません。
遅くても朝9時半には事務所を出て、夕方5時頃に帰社する毎日でした。
事務所に帰りづらい時は、ビルの谷間にある公園のブランコで時間を調整していましたし、夏の酷暑の時期は地下鉄の駅のベンチで身体を休めていました。
想像だにしていなかったその時のポストに、毎日悔しく、情けなく、そして思い通りにならなかった人事に押し潰されそうになっていました。
そんな時、「負けてたまるか」と私を励ましてくれたのは「家族の笑顔」と、私をこれまで応援してくれた「諸先輩・上司への思い」でした。
人はどうしようもない局面に巡り合ったとき、自分のために戦うよりむしろ「愛する人のために戦い、信じる人のために戦う」ことによって、自分では計り知れない力が湧いてくることを知りました。
二年間の一兵卒の戦いでしたが、初めの半年間は惨めな成績でしたが、それ以降は常に上位の成績を上げることができ、その後希望していた本社の中枢ポスト(部長)に人事異動いたしました。
サラリーマン人生の丁度折り返し地点(42才)の危機は、危険をはらみながら、次のステップの機会を与えてくれました。
人は、愛する人に守られ、信じてくれる人に助けられ、そして愛する人のために、信じる人のために戦うのかもしれません。
Office Life Desing
代表 岡 靖弘