005 私の「嵯峨野」論

 金井(2002)は「キャリアの歩みを、環境・時代の中で自分らしさを追求する道にしていくには、節目はしっかりとデザインすることが大事になってきます。それさえできれば、節目と節目の間は、多少流れに身を任せる(ドリフトする)のもいいでしょう。人生全体が節目というわけではありませんから、いつも張り詰めている必要はありません。」と『働くひとのキャリア・デザイン』で書かれています。

 

 又「節目や移行期は危機である。でも、危険という漢字を見ればわかるように、節目につきものの危機には、『危険』と『機会』がともに存在する。だから、節目にはイケイケどんどんのままではなく、歩みをしばし止めて、内省する必要がある。」とも書かれてています。

 

 私と京都の嵯峨野との出会いは、母親が二年間に及ぶ壮絶な闘病生活を経て、47歳の若さで亡くなった時であり、同時に私自身学生から社会人として旅立とうとした40年前の冬でありました。

それ以来、人生の、そして仕事での節目節目には嵯峨野を訪れています。

 

 嵯峨野の「嵯」は山へんに差と書きます。嵯峨野の「峨」は山へんに「我」と書きます。

将に、人生の峠(嵯)にめぐり会った時、自分はどちらの道(峨)に進めば良いのか、自分自身を見つめ直す場所(野)であったような気がします。そしてこれからも。

 

 春夏秋冬の、広沢池・大沢池、小倉山・曼陀羅山、清滝川・愛宕山、亀山、嵐山・大堰川、罧原堤・有栖川に息づく自然、文化、歴史。

 

 そして昔より嵯峨野の名所古跡は文学の宝庫ともいえる場所であって、文人墨客の和歌・俳句・漢詩などおびただしく遺されています。

 

 何時訪れても、新しい発見がありますが、その地で行われる人々の多くの儀式、もよおしものは同じ顔をしており、習慣を尊重しています。それは数百年来、あるいは一千年以上もの間、毎年規則正しく繰り返されている。決まった日に、決まった場所で、決まった仕方で、決まったことをするのです。

 

 それらの行儀作法の体系は、梅棹忠夫も述べているように何らかの外圧的な権威の力で維持されてるものでなければ、何らかの利益のための実際的な手段として支持されているものではないんです。しいていえば、それは嵯峨野に息づいている人々における、美的感覚で支えられているのかもしれません。

 

 40年前に出会った嵯峨野ですが、私のライフデザインにおいて、何時の日からか、

「わが夢どころ 墓どころ」となっているのです。

 

Office Life Design

代表   岡  靖弘